ジーンズのルーツはアメリカの西部開拓時代。それは、大きな夢を抱いて新大陸へ渡った人々の労働着からはじまった。やがてフロンティア精神の象徴として、人々の心に生き続けることとなる。そのジーンズが日本の若者の心をとらえはじめたのは、60年代に入ってから。そんな中、MATSUYAもいち早くジーンズに注目。それまでの洋品雑貨の店(昭和24年創業)から、ジーンズを中心とした衣料品店に業務転換。まだ一般的には市民権を得るには至っていなかったジーンズが、MATSUYAのメインアイテムとして店頭に並んだ。当時としては劇的な変身であった。その後、店名もあらたに「エースマツヤ」としてリニューアル。やがてジーンズの大ブームが巻き起こるにつれ、MATSUYAの存在は地元富山の若者や少年の間で口コミで広がり、「伝説のジーンズショップ」として知られるようになった。
ジーンズを扱いはじめて10年目にあたる1976年、本格的ジーンズショップ「USマツヤ」を富山市中央通りにオープン。レザー、ミリタリー、ワーク、アウトドア、スポーツ、ウエスタン・・・。その商品構成は徹底的に「本物のアメリカ」にこだわった、魅力的なものであった。そして77年に富山市西町に「エースマツヤ西町店」、82年には金沢市竪町に「マツヤファイブ」がオープン、MATSUYAの認知度が確実なものとなった。
1984年には、現在のTM&MATSUYA の前身である「オリーブ」が富山市中央通りにオープン。ヨーロッパからのインポートものなどレディスアイテムを中心にMATSUYAとは一味違う「コダワリ」のつまったショップが誕生した。
その後、中心的戦略を商店街型ショップから郊外型大型ショップへとシフト。その1号店として1988年、富山市郊外に「アメリカンスクエアマツヤ」がオープン。独創的な店舗スタイルに加え、ブランドごとに区切った箱型ショップは全国的にも例のない画期的なもので、そのあまりの斬新さにオープン時に訪れたアメリカのジーンズブランドの社長が激賞したというエピソードまで残っている。そして1991年に富山市に「アメリカンスクエアマツヤ2」「スタジアムマツヤ」を次々とオープン、翌1992年にはMATSUYAとして石川県の郊外大型店舗1号店となる「アメリカンスクエア マツヤ502」をオープン、富山だけではなく石川でもその「コダワリ」の世界を広げていった。
「自由な空気」を標榜するMATSUYAは、独創性と個性を何よりも重視。店舗の外観やディスプレイ、商品構成に至るまで店舗によって異なる独自のスタイルを築いてきた。画一的なチェーン展開のセオリーとは全く異なるユニークな方法であり、それは州が集まったアメリカ合衆国のようなものといえる。個性と完成を大切にする職場では、スタッフは互いの意見を率直に出し合い、店長はスタッフ一人一人の意見に耳を傾けながら、最後に決断を下す仕組みになっている。自由な空気の中で、スタッフがそれぞれの個性をぶつけ合いながら物事を決めていく。そうしながら、店を一つのカタチにし向上させている。
現在、MASTUYAの「コダワリ」の世界は富山、石川を飛び出し、新潟、福井、岐阜、愛知へと広がり続けている。変化し多様化していく時代の荒波にもまれながらも、これからも「ジーンズスピリット」すなわちMATSUYAのフロンティアスピリットを胸に、常に挑戦し続けていく・・・。
創業 | 昭和24年9月 |
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設立 | 昭和50年4月 |
資本金 | 4000万円 |
代表者 | 代表取締役 松村 勝義 |
所在地 | 〒939-8212 富山県富山市掛尾町 475-1 |
電話番号 | 076-492-4010 |
従業員数 | 146名(パート、アルバイト含む)※令和6年2月現在 |
事業内容 | メンズ、レディス、キッズのジーンズ、カジュアル衣料及び服飾雑貨、小物の販売 |
関連会社 | 株式会社エムトレーディング |
その他 | 一般事業主行動計画 |